凡人も語りたい

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「労働基準法」がDXを阻む ~序章・労働基準法の歴史~

どうも、こんぺです。普段はExcelVBAのことについてをちょくちょく書いております。ですが、今回は趣向を変えて「業務改善の私見について書こう!」と思い立ち、すったもんだ色々調べた結果、「労働基準法最低賃金の変遷」についてまとめることにしました。
自分もまさかこんな記事書くことになるとは思わなかった(´・ω・`)

この記事ができた経緯

タイトルの通り、ある種の「労働基準法に対する批評」を今後数回にわたって書いていこおうと思っているわけですが、「そもそもどうして労働基準法ができたのか?」ということを知らずにする批評はただの「文句」にしかならない、と思い労働基準法の歴史を調べました。なぜ「現行法ではなく歴史なのか?」というと、法改正は「当初の想定と現実の問題のずれを調整するため」に行われるからです。言い換えるならば、労働基準法の変遷を追うと「その当時の労働環境の問題点の変化」が浮き彫りになる、ということです。そして時代背景と共に調べてみると、なかなか面白かったので個人的な感想と共にまとめることにしました。
ちなみに厚生労働省がこの記事よりずっとわかりやすい資料を公開しておりますので、正確なソースに興味がある方は以下のリンクをご覧ください。
労働時間法制の主な改正経緯について

労働基準法の歴史

労働基準法の歴史は古く、2021年で施行から74年になります。そのため数多くの法改正がありますが、今回は「労働時間と賃金」に関わる部分にフォーカスして、時代背景と共に変遷を追っていきたいと思います。

昭和22年(1947年)制定

この頃の時代背景は、第2次世界大戦終戦後2年しかたっておらず、日本はまだGHQによる統治がされている状況、戦後復興真っ只中の世相です。
そしてこの年に日本で起きた出来事として一番重要なことは日本国憲法の施行」でしょう。
昭和22年(1947)4月|労働基準法が制定される:日本のあゆみ
このサイトによると、「日本国憲法に『法律で定める』と規定したため、それにあたる法律を作った」と読み解けます。実際、1946年11月に日本国憲法公布から「たった5カ月後に公布」というところが、この法律の重要性を物語っていると思います。
当時の労働基準法に盛り込まれた事項の概要は以下のような感じです。

  • 労働時間は週48時間
  • 女子・年少者の深夜就業禁止
  • 労災補償など労働条件の最低基準の設定
  • 割増賃金は2割5分以上
  • 変形労働時間制

GHQからの「戦時中は人権を無視した不当労働をさせていたに違いない!不眠不休を強いる無制限の不当労働は許しません!」という建前と、日本政府の「戦後復興真っ只中、復興遅れるのも困るから割高の対価支払えば(いくらでも)働かせてOKにして」という本音を考慮したような法律だと感じます。

昭和34年(1959年)

この頃の時代背景としては炭鉱、鉄鋼業界などでストライキが頻発している世相であり、「国家体制VS市民」の構図から移行して「使用者VS労働者」という構図が成立していた時代です。
「使用者が不当に安価な賃金で労働者を雇用することを国が制限する」ことで「国家は市民(労働者)の味方」をアピールする目的もあったかな…と感じます。

昭和62年(1987年)改正

調べてびっくりしましたが、労働基準法制定から40年、労働時間に関わる改正はありませんでした!
(40年の間は安全衛生や労災保険職業訓練などの労使契約に付帯する事項に関する法改正がメインでした)

  • 週法定労働時間を48時間→40時間への段階的短縮
  • 変形労働時間制の拡大(フレックスタイム制の導入、3か月単位の変形労働時間制の導入など)
  • 事業場外および裁量労働についての労働時間の算定に関する規定

この頃の時代背景としてはバブル景気真っ只中、「働くば働くほど稼げる」という状況だったようです…生まれてないから知らんけど…(´・ω・`)
しかし、男女雇用機会均等法の施行やグローバル化が進んだことで「いままでの生活様式」が成り立たなくなっていった時代だと言うことも想像できます。
営業、企画などの「ホワイトカラー」に応募が集中し、製造業における「ブルーカラー」の人材不足が問題になり始めた時期でもあるそうです。

平成5年(1993年)改正
  • 週法定労働時間40時間制の施行
  • 最長1年単位の変形労働時間制の導入
  • 時間外労働、休日労働についての割増賃金率の政令事項化
  • 休日労働についての割増賃金率引上げ(25%→35%)
  • 裁量労働制の規定の整備(対象業務を労働省令で規定)

この頃の時代背景としてはバブル崩壊直後。日本経済の停滞、「失われた30年」のはじまりです(´・ω・`)
1987年改正で段階的に短縮した週法定労働時間を40時間に固定することが目玉ですね。
穿った見方かもしれませんが休日労働賃金割増の政令化と、最長1年間変形労働時間制がセットというのが「飴と鞭」を使った「いかにも日本の政策」って感じです。
時代背景を遡ると、休日割増はバブル景気の時休日返上で働いた労働者の人気取りのため、要は「バブル景気の名残」。
一方、変形労働時間制はバブルが崩壊し「休日割増なんて払う余裕ない!けど稼働日減らしたくない!」という企業(雇用主)に対する助け舟…という見方もできなくない、と感じます。

平成10年(1998年)改正

この頃の時代背景としては住専問題、拓殖銀行の破綻、山一證券の廃業などバブル崩壊後の金融問題が顕在化している時代で、終身雇用制や年功序列制といった「日本型雇用」が崩壊し始めたころです。そのような世相の中「裁量労働制の拡大」を図ったところを見るに、「年功序列型から成果報酬型に変革したい(人件費削減を図りたい)」という思惑が見え隠れします。

平成15年(2003年)改正
  • 企画業務型裁量労働制の拡大、導入・運用の要件・手続きについて緩和
  • 解雇権濫用法理の明文化(解雇権濫用の無効の明文化)

この頃の時代背景は、小泉内閣による郵政民営化規制緩和三位一体の改革が行われた時期になります。労働基準法の「企画業務型裁量労働制の拡大」だけではなく「労働派遣法改正による規制緩和」も行われ、後々の日本の労働環境へ大きな影響を与えた結果となっています。
一方で「解雇権濫用の無効」が労働基準法に明文化(現在は労働契約法に移行)されたことも大きな変化だと思います。しかし、

  1. 「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない場合、無効とする」という曖昧な表現のブラックリスト方式採用
  2. 「労働者派遣法改正」による派遣労働の規制緩和

という「直接雇用のリスク増加」と「派遣労働の低コスト化」というコンボ技により正規雇用から非正規雇用へのシフト」が一気に加速したとも捉えられます。

平成20年(2008年)改正
  • 60時間/月を超える時間外労働についての割増賃金率を25%→50%へ引上げ(中小企業は猶予)
  • 上記割増賃金の支払いに代えて代替休暇付与を認可

この頃の時代背景は、なんといっても世界金融危機リーマンショック」が起きた年です。国内の労働事情にフォーカスすると「みなし管理職」問題が明るみになり、東京地裁で「みなし管理職」への残業代支払い命令の判決が下されたり、リーマンショックの影響により所謂「派遣切り」が横行し、年末には「年越し派遣村」が開設されました。
世間一般に「名ばかり管理職」「みなし残業」「雇用の正規、非正規」という考え方が根付き始めた時代だと思います。

平成30年(2018年)改正
  • 時間外労働の上限規制の導入
  • 中小企業における割増賃金率引上げの施行(平成20年改正における猶予の廃止)
  • 有給休暇の消化義務の導入(10日以上の有給休暇の権利を有する労働者について、最低5日の消化をさせること)
  • フレックスタイム制における最長清算期間の1か月から3か月への延長
  • 特定高度専門業務・成果型労働制(「高度プロフェッショナル制度」)の創設

最も直近の改正であり、読んでいる方々の記憶にも新しいと思います。5年スパンで改正が行われていましたが、民主党政権への政権交代もあってか、実は10年ぶりの改正となっております。
2015年の電通の女性新卒社員自殺というショッキングな一件から長時間労働」や「パワハラが社会問題として改めて大きく取り上げられました。
そのような世論を背景に「時間外労働への上限規制導入」が為されたことが非常に大きなポイントとなります。
事実上青天井だった労働時間にデッドラインが引かれたことで、今までなぁなぁにできた「労働時間管理の責任所在」を雇用主が明確にするよう迫られた点は大きな変化だと感じます。
その一方で「高度プロフェッショナル制度」を創設して多少のガス抜きするあたりは70年経っても日本の組織体質なのか「変化がないなぁ」と感じてしまいます。

最低賃金法について

最低賃金制度の歴史についてもまとめようと思いましたが、なかなか長くなりそうなため割愛(´・ω・`)
興味がある方は 以下の論文の「Ⅴ日本の最低賃金制度について」という部分で非常に丁寧にまとめられておりましたのでご紹介。(結構長い文です)
日本の最低賃金制度について-欧米の実態と議論を踏まえて

ここで言いたかったことは2つです。

(定義)
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
三 賃金 労働基準法第十一条に規定する賃金をいう。

  • 賃金の最低限基準である最低賃金「時間基準で支給すること」が義務付けられている

最低賃金額)
第三条 最低賃金額(最低賃金において定める賃金の額をいう。以下同じ。)は、時間によつて定めるものとする。

労働人口推移との比較

人口のデータについては以下のサイトを参考にしました。
統計情報|労働政策研究・研修機構(JILPT)


人口推移のグラフを見ると、1990年あたりから15~65歳以下の人口「生産年齢人口」が下降曲線に入り、現在まで減少の一途をたどっています。
www.jil.go.jp
その頃はちょうど、40年続いた「48時間労働の短縮」という大きな改正が行われた1987年改正にあたります。男女雇用機会均等法の施行もこのあたりというのは、世界的な風潮に押された点も多分にあったと思いますが、バブル景気も相まって「労働力の頭数確保」が当時から喫緊課題だったからだと考えられます。しかし男女雇用機会均等法は「男はとにかく仕事一本、女は家を守る」といった戦後40年以上続いた生活様式、価値観をひっくり返す法律であり、従来の労働時間では「生活が成り立たない」ということで労働時間の短縮に繋がったのかもしれません。

しかし、そんな配慮もむなしく1990年以降、労働力人口も緩やかな減少傾向のまま回復の兆しもない状況が現在まで続いています。
www.jil.go.jp
それもあってか1990年以降は「働き方のバリエーションを増やす」ための法改正が繰り返されています。「画一的な労働」から「多種多様な労働」を容認せざるを得ない労働市場の状況になったといえます。しかし2005年の「出生率1.26」という数字をたたき出し、いよいよ「日本の将来」すら危ういという状況に現在進行形でなっています。「いかに多く働かせるか」という「経営者・企業側」の視点だけでは破綻する、ということを歴史が証明してしまったと言えるかもしれません。
それもあってか、「割増賃金の一部増加」「割増賃金に変えての代替休暇付与の容認」という「労働者寄りの改正」がなされています。
そして直近の2018年改正になります。これらの経緯を知ってからだと、「働き方改革」でついに「働かせない≒休ませる」という「労働者側」の視点を重視した法改正がなされたのではないかと個人的に感じます。

今回の感想と次回について

労働基準法の変遷を調べて稚拙な観点からではありますが、考えたことや感じたことを書きました。変遷を調べることは「日本の労働観」を振り返るという点で正解でした。
しかし書いた後、働き方改革までの労働基準法、延いては日本の労働観は第一次産業革命後のイギリスと大差ない労働価値観」だったのかもしれない、と感じました…
要は「成果を多く出すには頭数と時間をたくさん注ぎ込めばいい」という労働生産性皆無の価値観、「労働者の生活という観点がすっぽり抜けている」とも言えます。
半世紀以上、人口の大半を占める労働者の生活を無下にしたら、そりゃ国全体衰退するわな(´・ω・`)
そんな弱り目の中、コロナ禍により今までの生活様式から一変を余儀なくされ、大変な思いをされている方も多く出ています。その一方、「日本の労働観の強制アップデート」ができるまたとない機会が到来しているのも事実だと思います。この機会を逃したら、冗談抜きで「失われた1世紀」になりかねないと感じます。
そして、その機会をもしかしたら「労働基準法」「最低賃金法」が阻む原因になるのでは?という内容を次回に書きたいと思います。

長文失礼しましたm(_ _)m